2025/9/14 主日礼拝

2025年9月14日 聖霊降臨節第15主日

【説教】『「死」は終わりではない』(橋本直行牧師)

【聖書箇所】コリントの信徒への手紙一15章35~52節
しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。
愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。
あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。
神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。
どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。
また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。
太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。
死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、
蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。
つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。
「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。
最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。
最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。
土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。
わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。
兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。
わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。

【讃美歌】 442番、149番、474番 頌栄:26番

[ 礼拝記録(動画・音声) ]

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